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歴史・文化

やさか地域の中心は、JR中央線・坂下駅周辺となります。 坂下駅周辺の街並みが形成されたのは、明治41年に中央線が開通したのに伴い坂下駅は飛騨地方への玄関口となり発展しました。

それまで、厳寒の冬の「野麦峠」を越え諏訪の製糸工場へ向かう女工さんたちも坂下駅まで出て汽車で諏訪へ行くようになりました。

諏訪の製糸工場で一年間働いた女工さんたちは、正月休みになると汽車で坂下の駅に着き駅前の旅館で雑魚寝をし、朝早く起きて駅周辺の商店でふるさとへのお土産をたくさん買い求め、馬車または歩いて、家族の待つふるさと飛騨へ帰って行きました。 また坂下駅周辺は飛騨地方への貨物輸送の要所としても発展しました。

こうした坂下駅を利用する人たちのために、旅館・商店・食堂により現在の街並みが形成されたと言われております。 JR中央線が開通するまでは、住宅数が640戸であった坂下地区は、ピーク時には1700戸・人口6400人まで発展しました。

2027年に「リニア中央新幹線」が営業運転を開始すると、坂下駅から東京まで1時間圏内となります。

     ※やさか地域 (旧山口村、坂下町、川上村)

 

現在の市有林・高峰山(標高944m、290ha)は、明治4年の廃藩置県により苗木藩から払い下げられる事となりましたが、当時の坂下村にはその資金(金68両)が無く他人の所有となる事を心配した当時の坂下村戸長「曽我五郎十郎翁」は、苗木藩より自費で払い下げを受け以後8年にわたり植林など山の手入れを行った後、坂下村に寄付をされました。

その後高峰山から産出される木材は、旧坂下町の貴重な財源となり、学校・病院の建設など各種公共事業に貢献してきました。 特に昭和29年に当時のお金で2000万円を投じて島平地区に建設された旧坂下病院は、昭和36年にはすでに胃カメラ(ガストロカメラ)が導入されており当時では恵那郡一の病院と言われていました。

曽我五郎十郎翁の業績を讃え、現在でも毎年区長会主催により高峰神社において「曽我五郎十郎翁顕彰祭」が盛大に開催されております。以前は高峰山の鎮野峠にあった高峰神社は老朽化のため、やさか観光協会により平成23年10月26日に坂下神社境内に頌徳碑と共に移設されております。   

                        

          高峰山(椛の湖自然公園から)     高峰神社と曽我翁頌徳碑                                                                                                   DSC00556.JPG

「大歌舞伎」「小芝居」「地芝居」という歌舞伎のビラミッドの底辺を支えるのが、「地芝居」であり、この地方では、地歌舞伎と呼んでいます。元々地歌舞伎は庶民の娯楽であり、祭りの奉納芝居として始まったようですが、娯楽の多様化により各地で衰退していきます。しかしその後この地でも伝統を守ろうと、歌舞伎保存会が地歌舞伎を復活させ、現在に至っています。岐阜県は現存する芝居小屋と歌舞伎保存会において、全国的に見ても突出しています。

受け継がれる地歌舞伎 東濃歌舞伎の魅力の続きを読む

木製品の町として知られる坂下で、三代に亘ってろくろ製品を製造している小椋製盆所の小椋幸治さん。大学卒業後サラリーマンをしていましたが、生まれ故郷坂下に戻り、家業を継ぎました。「どうやら小椋家は、代々木地師の仕事を生業にしてきたようです」

木地師の里 木地師の仕事の続きを読む